新しい職場への通勤途中で見知らぬ外国人男性がストーカーになった。毎日、付きまとわれて怖かったが、退職して解決できた

新しい職場への通勤途中で見知らぬ外国人男性がストーカーになった。毎日、付きまとわれて怖かったが、退職して解決できた

【性別】女性
【年齢】(ストーカー被害を受けた当時)
24歳
【職業】(ストーカー被害を受けた当時)
電話受付

【住まい】(ストーカー被害を受けた当時)
実家で親と住んでいました。





【ストーカーされる前の日常生活】
数か月前に、それまでの仕事を辞めて、始めて、電車通勤のOLになったばかりでした。
仕事を辞めた理由が、心身過労だったので、まだ体調は万全では、ありませんでした。
楽しいこともなく、両親とも、うまくいってませんでした。




【ストーカーに気付いたきっかけ】
帰りの電車内でした。
背の高い外国の人で、気づいたら、じーーーっと私を見ていました。
目が合うと、にっこりしましたが、こわかったので、私は目をそらしました。
そのあと、また、ちょっとそちらへ視線を送ると、なぜか、少し近づいていました。
気のせいだと思いましたが、しかし、その数分後、満員電車じゃないのに、電車の中で、真後ろに立たれて、気持ち悪くて、駅に着いた時、車両を変えたのに、また、真後ろに立っていた時です。

【ストーカーされた期間】
1ヵ月くらいです。




【ストーカーに気付いた時の心境】
心臓が飛び出しそうになるほど驚いて、そのあと、緊張と恐怖で、身体が硬直して、動けなくなりました。
気持ち悪くて、怖くて、どうしたらいいのか、わかりませんでした。
でも、少しして、私の思い過ごしかなと、最初は思いましたが、車両を変えても、また真後ろに立たれていた時には、確信して、背筋が凍り付きました。




【ストーカーはどんな人か】
性別は男性です。
頭一つ分、周りより出るほど、背の高い、肌の茶色いひとでした。
年齢は、30代くらいか、もっと若いか、見た目では、よくわかりませんでした。
人相は、常にニコニコしていて、強面ではありませんでした。
私は面識がありませんでした。




【具体的にされたこと】
毎日、必ず、帰りに、同じ駅から同じ電車に乗り込んできて、私の真後ろに、ずーーーーっと立っていて、私が降りる駅で、いっしょに付いて降りてきました。
声はかけてくることはありませんし、触ってくることもありませんでしたが、ずっと付いてきました。




【相談と助けてくれた人】
誰にも相談しませんでした。
心身過労で、休職していた直後だったので、しゃべる友達もいませんでしたし、両親とは関係がよくなかったので、話そうとは思いませんでした。
職場でも、まだ、親しい方はいなかったので、相談する人はいませんでした。




【ストーカー対策】
服装をがらりと変えたり(男性のようなスーツにする)、残業して、帰りの時間を変えたりしました。
駅に着いたら、そのひとがいるかいないか、毎回、確認するようにしました。
いなかったら、電車に乗りました。
しかし、いつの間にか、私の真後ろに来ていました。
できるだけ、ひとの多い所を通って通勤したり、鋼板を通って通勤しました。




【強烈な出来事】
毎日のように、その日も、ずっと、真後ろにくっつかれたまま、自分の降りる駅に着いたので、ダッシュして乗り換えました、怖くて怖くて、振り返ることもできませんでした。
夜だったので、電車に乗っている自分の姿が、ガラスに映っていますが、その後ろに、また、そのひとが映っていた時は、本当に卒倒しそうでした。
そして、最寄り駅で降りて、そこでもダッシュして、改札まで行きました。
息ができなくなって立ち止まってしまった時、振り返ると、それでも、まだ、付いてくるので、女子トイレに入って30分くらい、休んでから出てきました。
それでも、改札を出たところで、もうそのひとが後ろに居て、心底、恐怖を感じました。
また付いてきましたので、目の前のデパートに飛び込んで、エスカレーターやエレベータを乗り継いで、1回から外へ出て、鋼板のそばで、しばらく様子を見ていましたが、そのひとは姿を現さず、何とかまきました。
第三者は、いませんでした。




【解決のきっかけ】
第三者はいませんでした。
ストーカー被害を解決したきっかけは、その会社をやめて、地下鉄東西線に乗らなくしたことです。
1ヵ月は、頑張って通勤して、いろいろ対策を講じていましたが、やっぱり、誰にも相談できなくて、でも、通勤がとても怖くて2か月たつ前に、仕事に行けなくなって、その会社に、退職願いを出しました。
仕事内容は、好きだったので、とても残念でしたし、上司からも、引き留められましたが、相談することもできず、そのまま退職してしまいました。
地下鉄東西線に乗らなくなったら、そのひととは会わなくなりました。




【ストーカーのその後】
ストーカーしていた人が、赤の他人でしたので、その後は、知りません。
ただ、地下鉄東西線沿線で働いているか、住んでいると思いますので、私が被害届けも出さないで、そのままにしてしまったので、また、同じことを送り返しているかもしれません。




【現在の生活】
解決してから、20年経ちました。
その後、私は、結婚して、その周辺からは、離れて暮らしています。
20年も経っていますが、スッキリはしていません。
いまだに、その恐怖症で、通院しています。
まだ、不安はあります。
今後は、自分ではなく、我が子がそういう被害にあうのではないかという恐怖があります。
ですので、学校選びのとき、徒歩で行ける学校にしました。

【学んだこと】
ストーカー被害にあった経験をして、私が学んだことは、誰も助けてくれないということです。
つまり、自分の安全は、自分が守らなければいけないということです。
たとえ、誰かに相談したとしても、アドバイスをくれるだけで、具体的に、私を守ってくれる人はいないと思います。
両親に相談しても、たぶん、両親の方がパニックになってしまったと思います。
世間知らずの若い頃だったので、我が子には、こういうことを、しっかり伝えて行こうと思います。
今は、SNSなど、相手が見えない被害もありますので、親がガードしてあげないといけない危険性が高まりました。
私は大丈夫・・・と思っていましたが、他人ごとではないのだと、自覚して、もし、誰かがそういった被害にあって苦しんでいたら、助けてあげたいと思います。



【当時の自分へのアドバイス】
当時の自分へ、今の私から言えることは、もっと世間を知ること、そして、信頼をおけるひとを、ひとりでもいいから持つこと・・・を勧めます。
当時、私は、前の職場の同僚とも接点を亡くしていましたし、新しい職場でも、親しい人がいませんでした。
箱入りに育てられた家庭内は、こころの通じないつらい環境でした。
あの時の私には、こころから頼れる存在が居なかったのです。
親の庇護のもと、引きこもりがちでしたから、もっと、外の世界へ出て、いろんなひとと接して、社会性を高めていくといいと思いました。
その中で、こころから頼れる存在を見つけるのは、なかなか難しいです。
いざという時、ほんとうに心底、親身になってくれる人は、大人になるごとに、見つけることが難しいと感じます。
ですが、自分が誠心誠意、誠実にひととかかわりを持っていると、そういうひとに巡り合えると思います。